概要
社名 |
株木建設株式会社 |
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所在地 | 【本店】 〒310-0845 茨城県水戸市吉沢町311番地1 TEL.029-248-0688/FAX.029-248-0698 【東京本社】 〒161-0033 東京都新宿区下落合3丁目14番28号 TEL.03-6908-2700/FAX.03-6908-1870 |
創業 | 1921年(大正10年)4月 |
資本金 | 27億円 |
代表者 | 代表取締役社長 株木 康吉 |
従業員数 | 357人 |
売上高 | 335億円(2024年5月期) |
許可 | 建設業許可番号 国土交通大臣許可(特-3)第3号 |
登録 |
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主要株主 |
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取引銀行 | 常陽銀行/りそな銀行/新生銀行/筑波銀行/日本政策投資銀行/三菱UFJ銀行/中京銀行/東日本銀行/商工組合中央金庫 |
役員 | 役員名簿 2024年8月28日 |
沿革
大正10年 4月 | 初代社長株木政一により土木請負業創立 |
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昭和18年11月 | 法人組織として株式会社株木組に改組、株木政一が社長に就任、資本金300万円にて発足 |
昭和23年 8月 | 株木建設株式会社に商号変更し、資本金を800万円に増資 |
昭和33年 3月 | 株木正郎が社長に就任 |
昭和33年 6月 | 資本金を1億円に増資 |
昭和39年11月 | 社業の伸展に伴い札幌、仙台、水戸、東京、名古屋支店を開設 |
昭和40年10月 | 大阪支店を開設 |
昭和47年 5月 | 資本金を6億円に増資 |
昭和50年10月 | 資本金を12億円に増資 |
昭和50年12月 | (社)日本建設業団体連合会に加入 |
昭和52年12月 | 九州支店を開設 |
昭和59年 5月 | 資本金を18億円に増資 |
平成元年 3月 | 株木雅浩が社長に就任 |
平成10年 6月 | 東京支店土木部門にてISO9002を取得 |
平成12年 1月 | 水戸支店を機構改革にともない茨城本店に改組 |
平成13年 1月 | 資本金を27億円に増資 |
平成13年 4月 | 全店にてISO9001を取得 |
平成14年 3月 | つくば支店を開設 |
平成14年10月 | 北関東支店を開設 |
平成16年11月 | 本店を茨城県水戸市へ移転 |
平成17年10月 | 全店にてISO14001(登録番号 MSA-ES-476)を取得 |
平成20年 7月 | 「KCS改善活動」キックオフ |
令和元年10月 | 株木康吉が社長に就任 |
霞ヶ浦からスタートして
全国区の総合建設会社へ
春がすみ 霞の浦のゆく舟の
よそにも見えぬ人をこひつつ
と藤原定家に歌われた霞ヶ浦。琵琶湖についでわが国第二の湖であり、恵まれた自然と水をいかして、各種の産業(稲作、蓮根栽培等)が発展してきました。
株木建設は大正の時代から、この霞ヶ浦と深いつながりをもってきました。初代社長・株木政一は筑波山の麓に生をうけ、荒川沖(茨城県土浦市)に最初の拠点を設けて、霞ヶ浦海軍航空隊の飛行場建設に全力を傾けました。これが、かの山本五十六大佐(後の元帥)の目にとまり、全国20ヵ所以上の飛行場建設工事へとつながっていきます。時は大正10年、もう100年も前のことであります。霞ヶ浦海軍航空隊。その名はすでに忘却の彼方に消えようとしていますが、歴史をひもとけば、日本の航空史に1ページを飾る存在であったことが分かります。
そして戦後は、食糧増産という国家的な要請を受けて、霞ヶ浦での干拓事業をはじめ全国各地で干拓事業に取り組むことになりました。
また、農業技術者の育成のため航空隊跡に霞ヶ浦農科大学を、また予科練跡に大学付属の農学校を設立。これが現在の国立茨城大学農学部、私立霞ヶ浦高等学校の前身です。
以来、株木建設は霞ヶ浦の治水事業、底泥浚渫事業等による水質浄化に取り組みながら、土木事業と建築事業を二本柱に、エンジニアリング、都市開発、環境整備、不動産などの分野にも事業フィールドを広げ、現在では全国的なスケールで事業を展開する総合建設会社として、建設にかかわる広範なニーズに対応しております。